コンプレックスと向きあう それとも逃げる?自分のコンプレックスと上手くつきあいたい

私とコンプレックス

こんにちはTOMOです。

外見に対するコンプレックス、英語力に対するコンプレックスを持っています。

今回は、私が自分のコンプレックスにどのようにして向き合っているか、コンプレックスから逃げているか、そして克服しようとしているか、あきらめたか書きます。

頑張りました、コンプレックスを克服しましたと書きたいのですが、現実はそうあまくないんですよね。

それでも自分なりに自分のコンプレックスと付き合っています。

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私のコンプレックスについて

私の英語力に対する記事はコンプレックスについては、

という記事を書きました。

私の外見に対するコンプレックスは

という記事に書きました。

英語に対するコンプレックス

  • 日本語訛り 嫌と言うほどではないのですが話す相手によっては聞き取りにくいのが悪いのが分かります。
  • 発音 ガチで困る事です。自分でちゃんと発音しているつもりなのに伝わらないとめちゃ落ち込みます。
  • ボキャブラリー 文法 勉強不足としかいいようがありません。

ポジティブな私

  • 日本語訛りは、もう一生なくならないと思ってあきらめたというか、個性だと思うようにしています。
  • 発音は、出来たり出来なかったりなので半分克服したというところでしょうか。
  • ボキャブラリーの少なさや会話での文法の間違いはコミュニケーション力でカバーしているという感じです。(克服したかというといまいち違うよな気がします。)

ダメな私

  • 発音、ボキャブラリー、文法などはもっとしっかり勉強すればどうにかなりそうなのですが、勉強不足が顕著です。自分はどうせ頑張っても発音は上手くならないし、文法も上手く使えないと思っている自分がいます。

自分の中にポジティブで頑張ろうとしている私とダメな私が両方存在しています。


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外見に対するコンプレックス

外見に対するコンプレックスは、日本人目線で考えてみると逃げている感が大きいと思っています。

アメリカ人は太っている人が多くそれはそれでよくないことなのですが、太っている私にとっては過ごしやすい環境でもあります。

頑張って運動しても、ダイエットしても痩せる事がなかった(日本で普通または痩せていると言われる体重に)今のアメリカでの環境は楽です。

周りのひとの意見

日本では、太っているカテゴリーに入る私ですが、アメリカで太っていると言われることはありません。

逆にSmall,Skinny(小さい、痩せている)という形容詞を使われる事もあります。

さすがにそれは違うだろと真に受けることはありませんが。

今よりもう少し太っていても太っていると言われないかもしれません。

買い物に行った時

アメリカで買い物に行って驚いた事は、日本ではLサイズしか着れなかった私が、アメリカではMediumサイズを着る事ができるのです。

私のサイズでMediumですから、それが平均的って事ですよね。買い物する時は何処に行っても自分のサイズを探すのに困らないのでとても嬉しいです。

アメリカでは、ちゃんと小さいサイズもあります。またPlusサイズ(またはWomen’s Size)もあります。

靴も本当に探しやすいです。日本では24.5cmの靴を履いてたのですが、今は25cmの靴を履いています。アメリカサイズのサイズ8です。

このサイズもアメリカでは平均的なサイズだと思います。お店にいくと必ずあるサイズです。

なんと、ふくらはぎが太すぎて日本では、買えなかったロングブーツも買う事ができました。とても嬉しかったのを今でも覚えています。

一重瞼ということについて

実は自分がかわいくない事に対して多少コンプレックスはあるものの一重瞼であることに関しては自分自身うけいれています。

なぜか、二重になりたいと思ったことがないのです。

まあ、仕方ないと諦めていたということなのかな。あまりこのことについて考えた事はありません。

アメリカに来て思ったことは、アメリカ人が一重瞼を不思議に思うことはあっても(TOMOの目ってどうなってるの?とじっと見られたことが何回かあります。)ひとえだからかわいくないということはないようです。

アメリカに住んでいるとかわいいの定義は人それぞれだなあといつも思います。

人によって意見がばらばらです。

日本に居た頃の残念な体験

生活していくには、洋服って必要ですよね。

日本に居た頃は買い物があまり好きではありませんでした。

洋服は、Lサイズじゃなければ入らないので、お店に行っても気に入った服は自分のサイズがないなんてことは日常茶飯事でした。

バイトをした時は、他のバイトの子達が7号か、9号の制服を着ているのに私はそのサイズが着れないので店長に頼んで大きいサイズを注文してもらったことを今でもおぼえています。

靴は、かわいいブーツなんて夢のまた夢でした。

まとめ

私、頑張っています。こうして克服しました。なんてことは、言えません。

40歳を超えたいまでも自分のコンプレックスは、根深いので頑張りすぎないでうまくつきあって行きたいと思います。

ただ逃げていても仕方ないので努力もしないといけないと心に命じます。

私は、かなり環境に助けられたので、頑張ってもダメなときは環境をかえてみるのもいいかもしれません。

所謂、普通なんてことは誰が決めたのでしょう。環境が変われば普通の定義もかわりますよ。

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